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掲載第五篇は「死んでるおれは誰だろう」、(原題は The Death of Me)です。
寒さ近づくニューヨークの秋、ある朝、カートは靴の詰め物にしていた新聞の記事にびっくりします。自分が死んだという記事を目にしたからです。死んだのは誰か、殺した奴は?カートはニューヨーク駆け巡ります。
「両眼に殺意をこめて、ピストルをむけられたら、返事はひとつしか、ありはしない。ほかに返事のしようはないのだ。なぜなら、命はひとが最後まですがりついて行くものだから。たとえ、おれの命みたいなものであっても。おれは三二口径の銃口を見つめながら、…」
「There's only one answer when a man is holding a gun on you and there's kill-light in his eyes. It's always the same answer because life is something to cling to, even when it's a life like mine. I looked at the bore of the .32 and …」
生きている価値があるかどうかわからない自分でも、やっぱり命は大切にと思うところがカートキャノンの生き方であり魅力でもあります。
「光の夏は死んだのだ。公園のベンチには、はや冬が冷たい。夏は死に、秋が紅く染まった厚いナイフの刃をふるっている」
「Summer was dead, and a park bench is a cold thing in the winter. Summer was dead and autumn had used a thick knife stained with red.」
秋をナイフに、紅葉を刃についた血の色にたとえられるような今回の事件です。
「三番アヴェニューまで歩いて、ポテト・チップとライ・ウイスキイで、遅い晩めしをとった。壁の大時計が、八時十五分を告げるまで、おれはバーのテレビで、古ものの西部劇を見て、時間つぶしをした」
「I walked over to the Third Avenue and had a late supper of potato chips and rye. I hung around, watching an old Western on the bar's TV, until the big clock on the wall told me it was eight-fifteen.」
ニューヨークへ単身赴任した人ならこんな情景をを思い出すことでしょう。
「おれか?おれは、なにもかも、うしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない。」で始まるハードボイルド小説。
都筑道夫氏の名調子の翻訳で月刊「マンハント」(早川書房)に掲載され多くの読者を酔わせたものです。
その後「酔いどれ探偵街を行く」のタイトルでハヤカワミステリーの文庫になりました(原題は I like 'em tough)。
名翻訳に魅せられ原文が知りたい好奇心から原本を探しました。いろいろ試しているうちにたどり着いたのが、Abebooks社です。古本しかありませんでしたが最近手に入れました。
これから“徒然”なるままに都筑氏名翻訳の原文を探しながら、“やり直し英語塾”のように、名翻訳と原文を読んでみようと思います。
まず、プロローグです。
「おれか?おれは、なにもかも、うしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない」、この原文は:
「Me? I'm a down-and-out private eye with nothing to loose but my life」となっています。
“nothing but~”とはなつかしい熟語です。
プロローグの書き出しから当時流行のハードボイル小説の典型を感じさせる翻訳です。
「残ってるのは命しかねぇ。それが欲しけりゃやってもいいんだぜ。だがな、その前に…」といいながら相手につめよる映画のヒーローのような迫力を感じさせるセリフではありませんか。
「以前をいえば、ニューヨークでも指折りの、こわもてのする探偵だった」は:
「I used to be the best damned private eye in New York」でした。
“used to”と“get used to”の区別がわかったときの嬉しさを思い出します。
失うものは命しかないと言いきるカート・キャノン。タフでなければ生きていけないニューヨークで次々と事件を解決していく酔いどれ探偵に期待です。